大阪市民がファシストを市長に選んだのだから、受験生が被った犠牲は、大阪市民の責任に帰するのでしょう。もしかすると、後世振り返ったときに、この時期にファシストの化けの皮が剥がれてまだなんぼかマシだったと言えるのかもしれません。
ファシズムがその初動期に大きな経済効果と雇用を国民にもたらし、中後期に至ると内在する自己矛盾に自身を支えきれず、崩壊する過程をたどることはよく知られています。今、ファシストのリーダーシップによって社会が良い方向に変革されていると感じられているとしたら、それは単なる勘違いです。
水溜りのひとつひとつに切れ切れの雪と振袖のふわふわが行く
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