視聴率が史上稀に見るほどやらかしてしまった、大河ドラマ『平清盛』ですが、なんとか最終盤まできましたね。その清盛の最晩年の悪行として名高いのが南都焼き討ち。
平重盛を将とする4万の軍勢が、南都大衆7千を相手に城和国境付近で激戦ののち、強風に乗じて南都の街に火を掛けました。聖武天皇が国が傾くほどの資源を投入して整備した東大寺、興福寺等の大伽藍が、一夜のうちに灰燼に帰し、市街もほぼ壊滅したと言われます。
特に大仏殿は、騒乱を避けて2階に避難した民衆1,700人とともに焼け落ちました。考えてみれば、単位広さあたりの死者数がすごいことに…。当時の大仏殿は、現在の1.5倍の規模、建築面積は4,300平米(1,300坪)ほどですから、一坪あたり1.3人が焼死していることとなります。
私はなんて恐ろしいところをいつもジョギングしていたんだ(*_*;
散り敷ける紅葉奥山歩く日は治承の兵火も錦なるらむ
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