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我今仮に化をあらはして語るといへども
3.『過去』と『現在』は同時に存在しない

 ドラマは、全編が南方仁のまなざしに基づいて描かれています。はじめは現代の病院で手術をしていて、幕末へタイムスリップ、そしてまた現代へと戻ってきた仁の体験とドラマの進行がリンクしています。とても自然な、言ってみればありきたりな構成方法ですが、このことは、現代人の「時間」に対するものの見かたをうまくあらわしています、すなわち過去と現在が直線状に連なっていて、もしタイムマシンがあったとすればそこを行き来できるという認識です。

 仁は、現代と過去を順番に経験します。決して同時に現在と過去を経験することはありません。しかし、現代と過去との境目とは一体何でしょうか?たしかに服装や科学技術が大きく異なり、また昔に起こった出来事と同様の事件が進行している現場に遭遇すれば、私は「過去」に来たと思います。しかし、仁の人生経験というものはあくまで一つです。仁の身体は常に「今」を生き続けるしかありません。これはつまり、「過去」は「現在」においてしか経験できないということを示しています。「過去」と呼ばれる時間や世界が存在するかどうかは分かりませんが、それを経験するためには必ず現在の存在が必要ということなのです。
 それはあたかも、昨夜に録画したビデオを今晩見るということと似ています。私たちは、過去というものが存在したかどうか確認することもできず、常に「永遠の今」を生きることしかできない、それが答えのようです。

             参考文献 野矢茂樹『哲学の謎』 1996 講談社現代新書


 木漏れ日をさ揺らす若葉おをむしの影を透かして命全かれ

(こもれびをさゆらすわかばあおむしのかげをすかしていのちまたかれ)

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