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神殺し
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいわゆる「ヤハウェの諸宗教」においては、神は絶対的、全的な存在です。絶対である以上、その行為に一切の制約はありません。人間にとって不条理な仕打ちを与えることも可能です。まさに自然そのものです。アブラハムが一人子のイサクを神に差しだすのは、その不条理をも含んだ全能の神を信じるという姿勢のあらわれです。
対して、日本の神々は、人間に近い位置に暮らしています。我々に富と安寧をもたらすだけではなく、神自身が施しを受けたり、病気の治療を受けたりと、人間の隣人として振る舞います。ですから、もし神が我々に災厄をもたらすのであれば、まずは慰撫してその怒りを鎮めようとしますが、おさまらない場合は、神を追放したり、討伐することも否定しません。
『もののけ姫』でシシガミに対する神殺しをご覧になった方も多いと思いますが、神殺しは、日本に限ったことではありません。古来、多神教の文化では広く行われていて、金枝篇でも取り上げられています。動物と人間が地続きであるように、神と人間も地続きで、互いに慈しんだり敬ったり、傷つけたりしていたようです。 


もし地震が神の与ふる試練だと言ふなら迷わず神懲らしめん

(もしないがかみのあたうるしれんだというならまよわずかみこらしめん)

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