このたび、「きのこの山」と「たけのこの里」は講和条約を締結、ここに長きに渡った「きのこたけのこ戦争」は終結しました。講和条約の締結により、きのこの山とたけのこの里は国家統合を果たし、新国家を「たけのこの里」と称することとなりました。
講和会議の席上、戦勝国「たけのこの里」のスポークスマンは次なる声明を発表しました。
「たけのこの里は、正義と友愛の精神に則り、敗戦国に対し一切の賠償を求めないのみにとどまらず、統合後の新国家の名称にも、戦勝国・敗戦国双方から均等に文字を採用することとし、両国が全く対等の立場で合併する事実を宣言するものである。すなわち、「きのこの山」の【のこの】と、「たけのこの里」の【たけ】及び【里】を採用することとし、敗戦国の【のこの】をあえて国名の中心に据える。これは戦勝国たけのこの里が、きのこの山を寛恕の精神で保護する姿勢のあらわれにほかならない。新国名が【たけのこの里】となったのは全くの偶然であることが完全に理解せられることであろう!」
「きのこの山」に遅れること4年、「たけのこの里」が1979年に発売されると同時に「きのこたけのこ戦争」は勃発しました。両者ともに熱狂的なファンを抱えることから、戦闘は熾烈を極め、双方の罵詈雑言により、ファンはともに大きな心の傷を負いました。
両者の抗争は一進一退、戦争中期には、両国の融和を図るための第三極として、人為的に「すぎのこ村」が建国され、停戦交渉が持たれましたが、交渉は決裂、同国は数年で崩壊しました。後期には戦線は膠着の様相を呈していました。
ここまで戦争が長期化したのは、チョコレートに対する両国のイデオロギーの違いに原因がありました。たけのこの里の掲げる「混合主義/クッキー派」ときのこの山の「分離主義/ビスケット派」の隔たりは大きく、すぎのこ村の提示した「混合主義/ビスケット派」は、両者の主張の妥協点を導くどころか、論争の火に油を注ぐ結果に終わりました。
状況が激変したのは21世紀に入ってからのことでした。2000年代後半にいたり、「明治製菓」が商品ごとの売上高を発表、たけのこの里がきのこの山の売り上げを大きく凌駕している事実が判明し、戦況はたけのこ有利の形勢に傾きました。さらにはマスメディアによるチョコレート菓子人気調査において、たけのこの里が第1位を獲得する一方、きのこの里が5位の座に甘んずる結果に終わり、きのこ側の戦線は崩壊、勝敗はここに決しました。
「きのこの山」は、2010年のCMにおいて「たしかにたけのこの里はおいしい。おいしすぎるかもしれない」との声明を発表。これが実質的な降伏宣言となり、停戦、講和条件の折衝が開始されました。
戦死者のしたる血糊に紅葉濃しきのこの山もたけのこの里も
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