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カテゴリー:鎮東

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五百羅漢それぞれ雪に埋もれをり
 五百もの阿羅漢仏が雪にいてなゐより三年巡り来むとす

(ごひゃくものあらかんぶつがゆきにいてないよりみとせめぐりこむとす)


2月25日、一部改作

 それぞれの阿羅漢仏が雪にいてなゐより三年巡り来むとす


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屋根の上に鵯ふたつ東風を聞く
 『運命の人』、役者はいいのですが、ストーリーがどうにもうさんくさいですね。当時から西山記者はちょっとうさんくさかったらしいですが、今回のドラマは、強引な男女関係に基づいた恐喝まがいの事件を、政治問題にすりかえたようなものに見えます。「主犯」の毎日新聞に近いTBSによるドラマだし、何より外務省の被害者女性職員の視点と言うものが全く欠落しています。西山記者と毎日新聞の主張のみに基づいた脚本になってしまっています。フィクションと断れば、何をやってもいいのか…、放送機関の中立性について考えさせられる番組です。


 屋根の上に鵯ふたつ東北をじっと見ている東風を聞かむと

(やねのえにひよどりふたつとうほくをじっとみているこちをきかむと)



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坂東の安危、この一挙に在り
 日本後記に記された冒頭の一句、日本海海戦の際に、秋山真之がZ旗に与えた信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」とよく似ているように思うのです。


 岸襲う波詠める歌おほきみに進むものあり寒き陸奥はも



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なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
 風冴ゆる今朝被災地を思へども風立ちぬれば誰が按ずるや

(かぜさゆるけさひさいちをおもへどもかぜたちぬればたがあんずるや)



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幾千の舌舐めずりの高師の海
 幾千の舌舐めずりの醜浪が寄する陸奥の歳は暮れなむ

(いくせんのしたなめずりのしこなみがよするみちのくのとしはくれなむ)



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海嘯
 ヘリコプターからの映像。家屋も車も、取るに足らぬゴミであるかのように押し流す津波。その波のふてぶてしさが憎い。そして身震いしながらも、衝撃映像のように何度も動画を再生する私の心は、鬼の棲家だ。

 まるでその大地の瘡を浄めむと言ふかの如き傲慢な波


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久方の雨は降りしく撫子がいや初花に恋しきわが背
 撫子の学名は、Dianthus superbus var. longicalycinus
「superbus」は「気高い、堂々とした」の意、「Dianthus」は、「Dios(ギリシャ神話の神、ジュピター)」の「anthos(花)」、すなわち「ジュピターの花」。気高いジュピターの花が欧州で満開になったとのうれしいニュースが入ってきました。

ちょうど今、『ひるおび』で恵俊彰さんがが佐々木監督にインタビューしていましたが、監督、完全にできあがってました(^◇^)。酔っ払いのテンプレートにぴったりです(笑)


荒浪を忍ぶ岸辺に外つ国で撫子咲くと報せ届きぬ

(あらなみをしのぶきしべにとつくにでなでしこさくとしらせとどきぬ)



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背赤後家蜘蛛の夜
 10年ほど前、強毒のセアカゴケグモが日本で発見されたことで大きな問題となりました。当時はセアカゴケグモの外来ルートや駆除について連日大きな報道がされていましたが、あっという間に日本に定着してしまったので、いまは誰も報道しなくなりましたよね。
実際のところ、セアカゴケグモの死亡リスクは、落雷と同程度だと言われています。自動車事故の100分の1以下です。行政も、当初は結構大規模な対策を講じていましたが、今はそれほどでもないようです。リスクへの対策は必要ですが、建て前と実際は区別する必要がありそうです。

節電の夏。実行可能な代案も提示せず理想や正論を前面に押し出してくる連中に対して、反論してはいけない風潮がはびこっているように思えてなりません。
70年近く前、米英という脅威からなんとしても日本を守らなければならない、この正論=建て前を誰も真っ向から否定することができませんでした。特攻隊を編成した帝国陸海軍の支持基盤は何だったか。それは、建て前と実際を区別できない我々のポピュリズムであったことを忘れていはいけないと思います。


  ももしきのあうれりうすの桂冠の夜露の涙あやふし君は



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神様のメモ帳はどこに?
 大臣も知事も町長も、そしてああは言ったものの宰相も、本当は「今」出せる答えは一つしかないことを知っている。もしかしたら大衆もわかっているのかもしれない。でも、言えない。皆が言い出すきっかけを探りながら互いに互いをけん制している。
100年前、事大主義に囚われた隣国が滅びました。次は我々がその轍を踏む番なのでしょうか。
私は評論家にはなりたくない。「所与」を良しとしたくもない。でも一行の詩を詠むほかは、何の行動も起こしていない。


悪事を頁々に吹き込めて市立図書館に長雨過ごす

(ひがごとをぺーじぺーじにふきこめてしりつとしょかんにながめすごす)

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神殺し
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいわゆる「ヤハウェの諸宗教」においては、神は絶対的、全的な存在です。絶対である以上、その行為に一切の制約はありません。人間にとって不条理な仕打ちを与えることも可能です。まさに自然そのものです。アブラハムが一人子のイサクを神に差しだすのは、その不条理をも含んだ全能の神を信じるという姿勢のあらわれです。
対して、日本の神々は、人間に近い位置に暮らしています。我々に富と安寧をもたらすだけではなく、神自身が施しを受けたり、病気の治療を受けたりと、人間の隣人として振る舞います。ですから、もし神が我々に災厄をもたらすのであれば、まずは慰撫してその怒りを鎮めようとしますが、おさまらない場合は、神を追放したり、討伐することも否定しません。
『もののけ姫』でシシガミに対する神殺しをご覧になった方も多いと思いますが、神殺しは、日本に限ったことではありません。古来、多神教の文化では広く行われていて、金枝篇でも取り上げられています。動物と人間が地続きであるように、神と人間も地続きで、互いに慈しんだり敬ったり、傷つけたりしていたようです。 


もし地震が神の与ふる試練だと言ふなら迷わず神懲らしめん

(もしないがかみのあたうるしれんだというならまよわずかみこらしめん)

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